「学ぶ」は「真似(まね)ぶ」からきていて、「まねる」事から始まる、と申 します。3Mix-MP法の基礎実習で、常々「何も足さない、何も引かない」で習った通りにやる事、と言っているのは「学び」の基礎を説いているのです。 私も必死に「まね」をし続けてきました。
その「まね」の仕方を披露しますので,「よい子はゼッタイまねをしないでね」
40年ほど前、1970年代の後半だったと思う、大学の講義で初めて「学際的 (interdisciplinary)」という言葉を知りました。その当時は新鮮な言葉で、これからは分野の垣根を超えた考え方をしなければならないのだなー、と思っ
た覚えがあります。今ではコラボとか言って、ちょっとくだけた形ですっかり 定着しています。学際的という言葉を知ったおかげで私の中では何のためらい
も無く文系理系の垣根は取り払われました。考えてみれば、現代の自然科学が生まれたのも中世のヨーロッパで神学の一分野として発展してきたものです。
自然科学の研究が「神の存在の証明」のためであり、「哲学は神学の婢女」と さえ言われていたのですから元々理系とか文系とか言った区別があるのがおかしいのです。デカルトやパスカルは哲学者でもあり科学者でもありました。根本的な考え方はどっちも一緒なはず。そう言った下地を持って私は歯学を学び出したのです。その下地って?
一言で言うと,「何でも鵜呑みにしない」「自分で確認する」と言うことかな。
私が歯科医の第一歩を宅重先生の診療所で始めた時、最初に教えられた事は 「医療は両刃の剣」ということでした。その後、数々の言葉や、姿勢で様々な事柄を教えられました。先生本人は教えたつもりは無いかもしれませんが、私は教わったつもりです。真似たつもりです。盗んだつもりです。もっとも、かなりいい線まで真似出来たと思ってふと前を見ると、宅重先生はまた遼か彼方に行ってしまっていた、ということがしばしばです。司馬遼太郎の気持ちが良くわかります。その数々の宅重語録を振り返り私が「学んできた事」を思い出してみました。
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